趣里は親の七光りではない?バレエ少女から女優へ・壮絶半生と努力の軌跡!

趣里アイキャッチ

芸能界では“二世タレント”と呼ばれる人たちがたくさん活躍していますよね。

そんな中でも、「親の力じゃなくて、自分の力でここまで来た」と言われているのが、女優の趣里(しゅり)さんです。

父親は俳優の水谷豊さん、母親は元キャンディーズの伊藤蘭さんという、まさに芸能界のサラブレッド。

でも趣里さんは、親の名前に頼ることなく、地道に女優としてのキャリアを築いてきました。

今回はそんな趣里さんのこれまでの歩みを、「親の七光りって本当?」という視点から掘り下げてみました。

趣里さんが独自のキャリアを築いてきた軌跡と、その実力について迫ります。

目次

趣里は親の七光りではない!実力で築いたキャリア

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結論から言えば、趣里さんは決して親の七光りで成功した女優ではありません

むしろ、彼女は親の名前に頼らないことを強く意識し、自身の実力でキャリアを築いてきました。

趣里は「水谷」の姓を使わずに活動し、デビュー当初から父親の名前をあえて出さずに、「趣里」という名前だけで活動してきました。

この決断からも分かるように、趣里さんは「親の七光り」って言われたくないという強い気持ちがあったんです。

デビューの頃は、七光り的な記事もありました。父が水谷さんなら、『相棒』(テレビ朝日系)にだって出演させることは簡単にできるはずですが、そういうことも一切していません。なにより本人は、周囲に『自分の力で売れたい』と言っていますから

出典:デイリー新潮

「どうせ親の七光りでしょ?」なんて声もたまに見かけるけど、実際は地道に努力して、自力でポジションを築いてきたからこそ、みんなに認められてるんだと思います。

趣里の女優としての努力:バレリーナから女優へ

shuri

実は、趣里さんが最初に目指していたのは“バレリーナ”だったんです!

4歳からクラシックバレエに本気で打ち込んでいて、中学卒業後にはイギリスへ留学するほどの実力。

「この道で生きていく」と、心から決めていたそうです。

でも、アキレス腱の断裂と足首の剥離骨折という大きな怪我で、夢を断念することに…。

当時の心境について、趣里さんはこう語っています。

《これからどうしたらいいのだろうか? という絶望しかなく、死んだ方がましだと思っていました。極限の精神状態でしたね》(「スポーツニッポン」’16年10月15日付)

出典:女性自身

夢を失った瞬間の心の痛みは、想像を絶するものだったはずです。

それでも趣里さんは、そこで止まることなく新たな道を探し、たどり着いたのが“演技”でした。

帰国後は、大検(高卒認定)を経て日本大学芸術学部演劇学科に進学

さらに、アメリカの演技学校に通って舞台での演技を学ぶなど、女優としての道を一歩ずつ積み重ねていきました。

舞台や小劇場で経験を積み、2011年には『3年B組金八先生ファイナル』で女優デビュー

しかもこのときも、オーディションでしっかり役を勝ち取っているんです。

2018年には映画『生きてるだけで、愛。』でヌードを含む大胆な役に挑戦。

体当たりの演技は高く評価され、「趣里ってすごい女優さんだな」と印象に残った人も多いのではないでしょうか。

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